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 院長プロフィール

氏 名:神原 誉(かんばら ほまれ)
血液型:A型
趣 味:音楽、バンド、酒、スポーツ観戦

好きな食べ物:寿司、焼き肉、ラーメン、カレー
嫌いな食べ物:トマト

氏 名:神原 誉
血液型:A型
趣 味:音楽、バンド、酒

 
好きな食べ物:寿司、焼き肉
嫌いな食べ物:トマト

1973年:尾道市に生まれる


私の実家は尾道市向島のLinkIcon神原造船という造船所で、私はそこの三男坊として生まれました。私が生まれた時、また男子だったので、母はかなり落ち込んだそうです。そんな母に祖父は「ウチは造船所じゃけぇ男の子は何人おってもええ」と言って慰めたそうです。


1973年:広島県尾道市に生まれる

私の実家は尾道市向島のLinkIcon神原造船という造船所で、私はそこの三男坊として生まれました。私が生まれた時、また男子だったので、母はかなり落ち込んだそうです。そんな母に祖父は「ウチは造船所じゃけぇ男の子は何人おってもええ」と言って慰めたそうです。

1984年:視覚障害を負う


小学2年生の頃から結膜炎のような症状で眼科に通っていました。眼科ではステロイドの点眼、注射などの治療を数年にわたって受けましたが、結局そのステロイドが原因で緑内障になり、小学5年生の時、川崎医大で手術を受けましたが、右目は視力を失い、左目もごくわずかな視野しか残りませんでした。


1984年:視覚障害を負う

小学2年生の頃から結膜炎のような症状で眼科に通っていました。眼科ではステロイドの点眼、注射などの治療を数年にわたって受けましたが、結局そのステロイドが原因で緑内障になり、小学5年生の時、川崎医大で手術を受けましたが、右目は視力を失い、左目もごくわずかな視野しか残りませんでした。

1992年:尾道高等学校卒業・明治鍼灸大学入学


高校入学時、ドラムを買ってもらい、バンドを組んで活動しました。コピーやオリジナル曲もやりました。
TEEN’Sという音楽コンテストで尾道代表に選出され、中国ブロック大会で審査員特別賞を受賞したこともあります。
そして京都の明治国際医療大学(旧明治鍼灸大学)へ入学しました。


1992年:尾道高等学校卒業

高校入学時、ドラムを買ってもらい、バンドを組んで活動しました。コピーやオリジナル曲もやりました。TEEN’Sという音楽コンテストで尾道代表に選出され、中国ブロック大会で審査員特別賞を受賞したこともあります。そして京都の明治国際医療大学(旧明治鍼灸大学)へ入学しました。

1996年:明治鍼灸大学卒業・上京


大学卒業後、先に上京していた仲間と合流し、バンドでプロを目指し、整骨院に勤務しながら、活動を始めましたが、2年ほどで挫折しました。
途方にくれる中から、ようやく東洋医学に真剣に取り組むようになりました。


1996年:明治鍼灸大学卒業・上京

大学卒業後、先に上京していた仲間と合流し、バンドでプロを目指し、整骨院に勤務しながら、活動を始めましたが、2年ほどで挫折しました。途方にくれる中から、ようやく東洋医学に真剣に取り組むようになりました。

1998年:開業


東京都世田谷区三軒茶屋のマンションの1室でかんばら鍼灸治療院を開業しました。開業当初は患者さんも少なく、苦しい日々でしたが「開業してしばらくは時間があるのだから、しっかり勉強しなさい」との助言を頂き、必死で勉強しました。


1998年:開業

東京都世田谷区三軒茶屋のマンションの1室でかんばら鍼灸治療院を開業しました。開業当初は患者さんも少なく、苦しい日々でしたが「開業してしばらくは時間があるのだから、しっかり勉強しなさい」との助言を頂き、必死で勉強しました。

2000年:結婚


嫁は東京生まれ東京育ちですが、尾道に来るはめになりました。
現在までに三子をさずかりました。
1子:2002年生まれ(男子)
2子:2005年生まれ(女子)
3子:2007年生まれ(男子)


2000年:結婚

嫁は東京生まれ東京育ちですが、尾道に来るはめになりました。
現在までに三子をさずかりました。

2006年:広島県尾道市(当院)に移転


10年の東京での生活を経て尾道に帰って来ました。
そもそも私がこの道を志したのは、私が視覚障害者であることに由来します。
目に障害を負った頃から、母親に鍼灸治療院に連れて行かれ、週1回通うようになりました。すると0.03だった視力が、1年後には1.0にまで回復しました。これは現代医学では考えられないようなことです。
この経験から、もともと関心があったこの道を志すようになった訳ですが、今思うと、もう一つあるように思います。それは、障害者である私が人の役に立てるということです。平素は人の手を借りなければならないことが多い私が、人の役に立てる。これは大変大きな喜びです。つらそうな顔をして来院された患者さんが、楽になって笑顔になって帰って行く。これは私自身を救うことでもあるのです。
現在は、毎月勉強会に参加し、より多くの患者さんが笑顔になれるよう努力しています


2006年:広島県尾道市(当院)に移転

10年の東京での生活を経て尾道に帰って来ました。そもそも私がこの道を志したのは、私が視覚障害者であることに由来します。

目に障害を負った頃から、母親に鍼灸治療院に連れて行かれ、週1回通うようになりました。すると0.03だった視力が、1年後には1.0にまで回復しました。これは現代医学では考えられないようなことです。この経験から、もともと関心があったこの道を志すようになった訳ですが、今思うと、もう一つあるように思います。それは、障害者である私が人の役に立てるということです。平素は人の手を借りなければならないことが多い私が、人の役に立てる。これは大変大きな喜びです。つらそうな顔をして来院された患者さんが、楽になって笑顔になって帰って行く。これは私自身を救うことでもあるのです。現在は、毎月勉強会に参加し、より多くの患者さんが笑顔になれるよう努力しています。